栄光の讃歌(1)―歌詞と聖書―

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 待降節・四旬節は、主日であっても栄光の賛歌が歌われませんね。栄光の賛歌のない喪失感が、回心の期間である事の一つのシンボルです。これは逆に日曜日しかミサに行っていない信徒の特権かも知れません。栄光の賛歌を歌える事が心からの喜びになっていれば、このコントラストを味わう事もできるはずです。
 司祭のストラは暦によって色が変わります。教会に飾られている花も、その季節折々のものです。栄光の賛歌も同じように「ある喜び」と「ない喪失感」を典礼の色彩 に上手に生かしたいものです。「ない喪失感」を味わうためには「ある喜び」を味わっていなければなりません。
  ミサ典礼書の総則は、栄光の賛歌について「全員が一緒に、あるいは会衆と聖歌隊とが交互に、あるいは聖歌隊が歌う」 と述べています。しかし今まで述べて来たように、栄光の賛歌は歌詞にも典礼的にもとても大きな意味を持ちます。「全員が一緒に」歌う事がよいのは言うまでもありません。
 栄光の賛歌は《典礼聖歌》や《カトリック典礼聖歌集》に多数収録されていますが、ほぼ例外なく、音は高く、長いので歌い切るのに時間がかかります。ある方にとっては全部歌い切ったら喉が痛くなる場合もあるかも知れません。そういう方は、最初から最後まで大きな声を張り上げる必要はないと思います。でも、小さくても構わないので声を出して頂きたいのです。5世紀から続く伝統を受けついでいる誇りを持って、内的にも、そして外的にも躍動感のある典礼にしていきましょう。

【外山 愛】