栄光の讃歌(1)―歌詞と聖書―

(2)-1
 栄光の賛歌は、感謝の賛歌が「叙唱⇒感謝の賛歌⇒奉献文」という典礼の流れ中で意味を持つ ような性格のものではありません。日曜日しかミサに行っていないと、栄光の賛歌はミサに標準装着されているように錯覚しますが、実は栄光の賛歌が歌われるのは原則として主日だけです。一週間に7回あるミサの内、6回は歌われませんね。栄光の賛歌のない「あわれみの賛歌⇒集会祈願」という流れがミサの標準の流れである、と言うことができるでしょう。
 栄光の賛歌は、あえて言えばその流れを断ち切る行為です。標準の流れを壊す事で、その日の特別 性を強調する のです。そういう意味では確かに栄光の賛歌の性格も典礼の流れの中で意味を持つ、と言えば意味を持つのですが…。感謝の賛歌よりはかなり独立性が高いと言えます。これは日曜日しかミサに行っていないと分かりにくい事ですが、毎日ミサに与っている修道者に取って、栄光の賛歌は主日のみに許された大きな喜びなのです(これはある修道者から本当に聞いた話です)。
 あわれみの賛歌が終わったら、心を切り替えて大きく息を吸って、力一杯の賛美を捧げるべきです。司祭も「さぁ、栄光の賛歌を始めよう」という気持ちで堂々と先唱する必要があります。栄光の賛歌が終わったら、一息ついて心を整えて集会祈願に耳を傾けましょう。典礼の中にあるこのような微妙なコントラストや、ニュアンスの違いを感じ取れるようになれば、内的躍動感はさらに大きなものになるでしょう。

【外山 愛】