栄光の讃歌(1)―歌詞と聖書―

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 では次のブロックを見てみましょう。

   主なる御独り子イエズス・キリストよ。神なる主、神の子羊、父の御子よ。
    世の罪をのぞきたもう主よ、われらをあわれみたまえ。
    世の罪をのぞきたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。
    父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。


 このブロックは比較的分かりやすいでしょう。「世の罪をのぞきたもう」という表現は、ヨハネ1:29(キリストの洗礼)にある表現です。聖書で確認してください。このブロックはキリストに対する呼びかけです。
 ところで、「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。確かに「主なる御独り子〜父の御子よ」までは、第一ブロックに属していると述べましたが、私は、この部分は両方にまたがっていると考えています。第一ブロックでは呼びかけとしての意味がありましたが、第二ブロックでは形容の役割を持ちます。つまり、

  神なる主・神の子羊・父の御子であるところの、主なる御独り子イエズス・キリストであるところの、世の罪をのぞきたもう主よ、われらをあわれみたまえ。

  となります。再度確認しておきますが、この読み替えは私個人の解釈です。特に「主なる御独り子〜父の御子よ」までは、完全に(第二ブロック若しくは【2】)に組み込まれている、という解釈の方が主流です。
 ラテン語では「あなたをほめ、あなたを称え…(Laudamus te. Benedicimus te.…)」となっています。その「あなた」が「天のいと高きところにおられる神(in excelsis Deo.)」にかかっていて、「全能の父なる神(deus pater omnipotens.)」が「天のいと高きところにおられる神」を再現させているものなら、下線を引いた部分は完全にBだけに属します。
 あるいは「天のいと高き…平和あれ」までは聖書の言葉なので、完全に独立したものとして捉え、文章が新しく「われら主をほめ…」から始まっているならこのような解釈も可能です。わたしはその立場を取っていますし、少なくとも日本語訳はそのように捉えた方が意味が通 じるのではないでしょうか。

【外山 愛】