感謝の讃歌(2)―典礼の中で―

(2)-2
 感謝の賛歌は、『ミサ典礼書の総則』によると「感謝の祈り(奉献文)そのものの一部をなして」いるものです(79b)。決して「式文の中に挿入された音楽」という程度のものではありません。
 これは、川の流れのようなものかも知れません。清流は澱みない流れの中に存在します。人間がその流れをせき止めてダムを作ると、自然界のバランスは崩れてしまいます。感謝の賛歌も同じです。叙唱を味わう⇒感謝の賛歌で応える、という澱みない流れの中にこそ、内的な躍動感が存在します。感謝の賛歌だけを独立したものとして捉える事は、叙唱と感謝の賛歌の間に水門を築いて流れをせき止める事に他なりません。

【外山 愛】