ミサ曲の解説を終えるにあたって

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 私が音大で使っている教科書では、ミサ曲は「〈Kyrie〉〈Grolia〉〈Credo〉〈Sanctus〉〈Agnus Dei〉の5楽章からなる大規模な、合唱のための、若しくは管弦楽と合唱のための組曲」と定義されていますが、本来の在り方としては全く相応しくない定義です。ここまで見て来たように、いわゆる《ミサ曲》は、典礼の中でその前に何があるか、その後に何があるか、あるいはそれが歌われている時に何をしているか、つまり、典礼の中で他の要素とどのような繋がりがあるか、という事がとても重要であり、「ミサの中で使われる5楽章の組曲」という程度のものではありません。
  ミサには一定の形があります。ミサ曲は確かに「そこで歌うように決められているから歌う」のです。でも、そこで終わってしまっては「面 倒くさい」「ミサが長くなる」と言った、ネガティブな心の動きに負けてしまいます(「面 倒くさいは」ともかく、「長くなる」はナンセンスです。唱えても歌っても、時間はそんなに変わりません)。逆に、「なぜそこで歌うのか」「そこで何を歌うのか」という事に対して理解を持ち、かつそれを典礼の中で味わった時、今までは見えなかった典礼の躍動感が見えてきますし、典礼の中の1つ1つの要素に喜びを持って自発的に関わる事ができます。この関わりは、「ミサの音楽は全会衆で歌うべきだ」というような低いレベルの関わりではありません。もっと深く、内的な感動を伴う関わりです。そうなった時、その典礼の躍動感に共鳴して、「信仰の躍動感」が生まれるのだと思います。
【外山 愛】